2024.07.22
私が今、東京に住みながら岡山に関わる活動をしている背景には、いつも「時光商店」の存在があります。そんな私の原点ともいえる時光商店について、そして岡山への想いをどう持つに至ったのかを綴ってみたいと思います。少し長くなりますが、どうぞお付き合いください。
時光商店は、私の曽祖母が始めたお店です。曽祖父が薬売りの仕事で外を回っている間、家で薬を売ることで始まったお店を、祖母が引き継ぎました。私が物心ついた頃には、近所の人々の要望に応えてタバコや薬をはじめ、食品から日用品、雑誌やお中元・お歳暮のギフトまで何でも揃う、「近所の雑貨屋さん」のようなお店でした。
小学校から帰り、私がランドセルを背負ったまま向かうのは時光商店でした。10畳ほどの小さなお店の奥は一段高い小上がりになっていて、火鉢が置かれています。祖母はそこにちょこんと正座して店番をしていました。祖母のことが大好きだった私は、いつもその横で宿題をしたり、お客さんとの会話を聞いたりしながら過ごしました。
時には商品を棚に補充したりラッピングをしたりと、お手伝いをすることもありました。特に楽しかったのは、仕入れについて行ったことです。大きな倉庫に行き、たくさんの物の中から選ぶときのワクワク感は、今でも鮮明に覚えています。たくさんの品物の中から自分の好きなものを探す楽しさは、ナバホパールのアクセサリーを扱うNaaghaii(ナハイ)やミルクガラスランプ専門店のmilky white vintage(ミルキーホワイトビンテージ)の事業に繋がっている気がします。
祖母は会話上手で、お店にはいつもホッとする空気が流れていました。毎日立ち寄ってリポビタンDを飲みながらのんびりしていく人や、仕事の途中に来て30分くらい休憩してまた出かけていく人も。時光商店は、買い物をする場所であると同時に、今で言う地域のコミュニティスペースのような役割も果たしていたように思います。
祖母が亡くなったあとお店は畳みましたが、私の母は昔からのお客様には今でもお供え用の榊(さかき)の注文を取りまとめて個々に配送したり、足が悪くて買い物に行けない方の代行をしたりしています。「人に喜んでもらいたい」という気持ちで続けているのだそうで、この時光商店の精神は、自分の中にも受け継がれていると感じています。
高校生の頃は「何もない」と思っていた岡山ですが、大学進学で離れてみると、素晴らしいものや場所がたくさんあることに気づきました。「岡山のいいもの・いいところを見つけ、取材して、魅力を広めたい」という想いで、大学卒業後は、岡山のタウン誌を作っている地元の広告会社にUターン就職。しかし残念ながらタウン誌の部署への配属が叶わず、その思いを実現できないまま、CA(客室乗務員)の道に進みました。そうして世界中を飛び回る中で、より岡山の魅力が輝いて見えるようになり、岡山への想いはさらに高まっていきました。
紆余曲折を経て、私は今、岡山と東京を行き来しながら「岡山の魅力や個性、ええもんを全国に広めたい」と、岡山で交流会やイベントを開催しています。その中で「祖母が営んでいた “時光商店”の名前を使って、岡山の魅力を発信する場所、いつの間にか人が集まり気持ちが安らぐ空間を作りたい。」そんな夢を持つようになり、「時光商店プロジェクト」を立ち上げました。
「時光商店」をどんな形で復刻したら喜んでもらえるのか、どんなことができるだろうか? まだ思案している段階ですが、岡山との関わりを続ける中で、たくさんの方からアイディアをいただきながら、少しずつ進めていきたいと思っています。